台湾に残る二宮金次郎像 / 台湾に残る明治大正

2021年2月1日月曜日

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 台北の山中に綺麗に保存されています。



写真提供:一色誠
二宮 尊徳(にのみや たかのり)
「そんとく」という読みが定着している。
江戸時代後期の経世家農政家思想家である。
経世済民を目指して報徳思想を唱え、報徳仕法と呼ばれる農村復興政策を指導した。

幼少期
金治郎が5歳の時の寛政3年(1791年)8月5日、南関東を襲った暴風で、付近を流れる酒匂川の坂口の堤が決壊し父の田畑は砂礫と化し、家も流失した。開墾に従事して田畑は数年で復旧したが、借財を抱えて家計は貧する。
14歳になった金治郎は、朝は早起きして久野山に薪とり、夜は草鞋作りをして、一家4人の生計を立てた。

幕末の大立者「勝海舟」は 「二宮尊徳には一度会ったが、至って正直な人だったよ。全体あんな時勢には、あんな人物が沢山出来るものだ。時勢が人を作る例はおれはたしかにみたよ」と言っています。

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趣味として、Wineや台湾の紹介ブログを書いたり、台湾では大阪の食文化を紹介しながら「話せる日本語」を教えています。 30代前半で起業、60で引退、現在は大阪、南国台湾を往復しながらフリーランスな生活をしています。

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