台北の山中に綺麗に保存されています。
写真提供:一色誠
金治郎が5歳の時の寛政3年(1791年)8月5日、南関東を襲った暴風で、付近を流れる酒匂川の坂口の堤が決壊し父の田畑は砂礫と化し、家も流失した。開墾に従事して田畑は数年で復旧したが、借財を抱えて家計は貧する。
14歳になった金治郎は、朝は早起きして久野山に薪とり、夜は草鞋作りをして、一家4人の生計を立てた。
幕末の大立者「勝海舟」は 「二宮尊徳には一度会ったが、至って正直な人だったよ。全体あんな時勢には、あんな人物が沢山出来るものだ。時勢が人を作る例はおれはたしかにみたよ」と言っています。
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