嘉義農林学校を訪ねてみよう  甲子園決勝進出

2016年2月2日火曜日

台湾の空の下

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高校野球の前身「全国中等学校優勝野球大会」に日本統治時代の1931年、「嘉義農林学校」が台湾代表として甲子園出場、そして見事決勝まで進出しています。

「KANO 故事館」
嘉義から阿里山へ行く阿里山鐡路の站「北門站」近くの檜意森活村(Hinoki Village)にあります。近藤兵太郎監督の自宅として使われた古い日本家屋(日本統治時代の林務局職員の宿舎)には、撮影に使用された数々の品物が展示されています。
営業時間は10~18時まで。入場料は30元。日本語のパンフレット(10元)もあります。
この檜意森活村には日本統治時代に阿里山から切り出した上質のヒノキを集める為の集落があり、2010年にアート拠点&観光地として跡地が生まれ変わりました。

「國立嘉義高級商業職業學校」嘉義農林学校の跡地に建っています。

「国立嘉義大学の蘭潭校区」嘉義農林学校にまつわるモニュメントが多数存在しています。
・「天下の嘉農」野球ボール型モニュメント
・嘉農の栄誉の軌跡が刻まれた石碑
・蘇正生の銅像
・近藤兵太郎監督の銅像

「一口メモ」
大正時代に台湾人向けの実業学校(商業、工業、農業)が設立され、嘉義農林学校も、そのような実業学校の一つです。
日本統治時代の小学校は、日本人向けの「小学校」と、台湾人向けの「公学校」があり、中学校(旧制中学)は元々日本人だけが通える学校でした。

高校野球の前身「全国中等学校優勝野球大会」は1915年から始まり、1921年からは日本統治下の朝鮮と満州、1923年からは台湾からの代表校が出場するようになりました。

嘉義駅前の中山路を数分歩くと七彩噴水圓環(ロータリー)が有り嘉義の名物「鶏肉飯」の有名な「噴水雞肉飯」店が有ります。

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趣味として、Wineや台湾の紹介ブログを書いたり、台湾では大阪の食文化を紹介しながら「話せる日本語」を教えています。 30代前半で起業、60で引退、現在は大阪、南国台湾を往復しながらフリーランスな生活をしています。

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