台湾と『後藤新平』第4代民政長官 / 台湾に残る明治大正

2021年2月3日水曜日

台湾の空の下

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日本統治の初期段階に於いて台湾総督府は軍事行動を前面に出した強硬な統治政策を打ち出し、台湾居民の抵抗運動を招いた。このような情況の中、台湾総督には中将以上の武官が就任し台湾の統治を担当した。

1898年(明治31年)
第4代台湾総督(明治31年~明治39年)として児玉源太郎が就任する。
児玉源太郎は内務省の官僚だった後藤新平を民政長官に抜擢し、台湾の硬軟双方を折衷した政策で台湾統治を進めていく。

1902年(明治35年)末
抗日運動を制圧した後は、台湾総督府は日本の内地法を超越した存在として特別統治主義を採用する.
当時ドイツの科学的植民地主義に傾倒していた民政長官後藤新平(明治31年~明治39年)は生物学の観点から、文化・文明的に立ち遅れている植民地の急な同化は困難であると考えた。
後藤新平は台湾の社会風俗などの調査を行い、その結果をもとに政策を立案、生物学的原則を確立すると同時に、漸次同化の方法を模索するという統治方針を採った。

一例として当時流行していた阿片を撲滅すべく「阿片漸禁策」を考案し、阿片吸引を免許制とし、阿片を専売制にして段階的に税を引き上げ、新規の阿片免許を発行しないことで阿片を追放し、更にはその潤沢な税収によってインフラ整備にも成功した。

特別統治主義
日本内地の外に存在する植民地として内地法を適用せず、独立した特殊な方式により統治するというものである。

『偉業を感じ取れる場所』
総統府(台湾総督府)、台北賓館 (台湾総督官邸)、国立台湾博物館(台湾総督府博物館)、菸酒股份有限公司(台湾専売局)etx.多数あります。


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趣味として、Wineや台湾の紹介ブログを書いたり、台湾では大阪の食文化を紹介しながら「話せる日本語」を教えています。 30代前半で起業、60で引退、現在は大阪、南国台湾を往復しながらフリーランスな生活をしています。

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