第4代台湾総督児玉源太郎の元での後藤新平の活躍は既に皆様の知るところです。それ以前の総督時代は抗日勢力の鎮圧が主目的になっていた。児玉源太郎総督以後は後藤新平の進言をいれ硬軟双方を折衷した政策で台湾統治を進めていく事になる。
後藤新平の台湾統治論を後藤新平の言葉を引用し説明しますと、
「社会の慣習とか制度とかいふものは、皆相当の理由があって、永い間の必要から生まれてきてゐるものだ。その理由を弁へずに無闇に未開国に文明国の制度を実施しようとするのは、文明の逆政(虐政)といふものだ。そういうことをしてはいかん。だから我輩は、台湾を統治するときに、先ずこの島の旧慣制度をよく科学的に調査して、その民情に応ずるように政治をしたのだ。これを理解せんで、日本内地の法政をいきなり台湾に輸入実施しようとする奴等は、比良目の目をいきなり鯛の目に取り替へようとする奴等で、本当の政治といふことのわからん奴等だ」
戦前の日本と台湾の関係は欧米諸国の植民地政策の様な植民地からの搾取が目的ではなく、内地日本が豊かでない時期にも関わらず台湾開発に力を入れ、共に近代化への道を歩んで行ったという事ではないでしょうか。
国立台湾博物館に陳列されている立像 |
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