国家二級古跡「下淡水渓鉄橋」/ 台湾に残る明治大正

2021年1月31日日曜日

台湾の空の下

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台湾鉄路管理局は電化に対応したセメント製の新高屏渓橋を鉄橋の北側に新設し供用していたが 旧鉄橋は1992年、正式に役目を終えた。歴史的・文化的価値により国家二級古蹟に認定された唯一 の鉄道鉄橋である。

鉄橋の建設に用いられた鋼材は全て日本で造られた後、高雄港や基隆港から鉄道によって運ばれ 組み立てられた。 この完成により高雄と屏東間の最大の陸上交通路となり、台湾南北の貨物輸送における重要な交通の要路となった。当時、アジアで最も長い橋(1526m)だったことから「東洋一の大鉄橋」と 呼ばれていた。

写真は2009年の物です。この後大水害により鉄橋の一部が崩壊しています。
下淡水渓鉄橋

1911年初頭、台湾総督府は鉄橋の建設を迫られていた。
高雄港での軍事物資と人員の輸送増加、屏東平野の砂糖製品や農産物の輸送強化の為には 早急な建設が必要であった。
建設を開始するものの高屏渓の川幅は広く流れも急で工事は難航を極めた。
旧鉄橋(古写真)

この難工事を指揮した台湾総督府日本人技師飯田豊二は疲労の蓄積から病に倒れ、鉄橋の完成を目前にした1913年(大正2年)の6月10日台南医院で帰らぬ人となった。
友人の小山三郎らによって遺墨が作られ、九曲堂駅横に埋められるとともに資金を集めて記念碑が建立された。 
台湾総督府日本人技師「飯田豊二」記念碑

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趣味として、Wineや台湾の紹介ブログを書いたり、台湾では大阪の食文化を紹介しながら「話せる日本語」を教えています。 30代前半で起業、60で引退、現在は大阪、南国台湾を往復しながらフリーランスな生活をしています。

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