台湾広播電台放送亭 (現)二二八記念会館 /台湾に残る明治大正

2019年4月26日金曜日

台湾の空の下

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台湾広播電台放送亭   

【建物】1934年(昭和9年)竣工   市定古跡
【設計】栗山 俊一 
【場所】MRT台大医院駅徒歩5分  中正区228和平公園
日本時代は台湾広播電台放送亭の建物であった。ちなみに放送亭はラジオ局を意味し台湾総督府の支援の下で台北・板橋・台中・台南・嘉・花蓮等に放送局が設置され、台湾放送協会により運営されていた。
歴史的意味のある放送がこの建物でなされました。 一つ目は1945年8月15日正午の玉音放送(日本がポツダム宣言を受諾して降伏し、第二次世界 大戦が終結したことが伝えられた)。二つ目は国民党政府統治下の1947年2月28日に発生した二二 八事件時、放送局を占拠した市民が軍艦マーチとともに事件の情報を伝えた。
2011.2.28.リニュアル・オープン(撮影日2011.02.13)


【二・二八事件】 1947年2月28日に台北市で発生し、その後台湾全土に広がった。
当時はまだ日 本国籍を有していた本省人と外省人との大規模な抗争。約40年後、戒厳令の終了と政府側の遺族への謝罪により漸く終結した。本省人はこの事件を台湾大虐殺と呼んでいる。

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趣味として、Wineや台湾の紹介ブログを書いたり、台湾では大阪の食文化を紹介しながら「話せる日本語」を教えています。 30代前半で起業、60で引退、現在は大阪、南国台湾を往復しながらフリーランスな生活をしています。

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