日本人なら必ず行くべき台北観光地「228紀念館」

2012年12月14日金曜日

台湾の空の下

t f B! P L
日本人なら必ず行くべき台北観光地「228紀念館」   

選挙戦真っただ中の日本、どの政党が政権を握るかなどという些少な観点はしりぞけ是非これを読んでいただき日本人を取り戻して欲しい。簫錦文(ショウギンブン)さんという一人の日本人の活動です。
『SNS趣味人倶楽部 ☆まりん☆さん 12/13日記より  許可をいただき転載しております』
台湾の二二八記念館で簫錦文(ショウギンブン)さんにお会いしました。
簫錦文さんはかつて日本兵としてビルマ前線に赴き、インパール作戦に参加し、戦後は二二八事件(国民党による台湾人虐殺事件)でひどい拷問を受け、銃殺される一歩手前で辛うじて生き延びたものの、その後に続いた白色テロで弟さんを殺されています。
簫錦文さんはドキュメンタリー映画「台湾人生」にも登場されていて、87歳というご高齢ですが、今も総統府と二二八記念館で日本語ボランティアをなさっています。
簫錦文さんは大正15年生まれで、17歳の時に志願して入隊しました。当時の台湾では徴兵制度はなかったのですが、志願兵の募集が始まり、面接と筆記試験があったそうです。
17歳から30代後半までの募集で、簫錦文さんは「はな垂れ小僧の自分など合格できない」と思いつつも、日本国存亡の危機に日本人として責務を果たしたく志願したら合格し、非常に驚いたそうです。それもそのはず、多くの台湾人志願者が殺到し、1942年の第1回の応募には1,000名の定員に対し425,961名(当時の台湾青年の14%に相当)の志願者が応募し、第2回には同じく1,000名の定員に対し601,147名もの応募があったのですから。

簫錦文さんが日本人に繰り返し伝えていることを書き留めます。↴
イギリスの植民地であったシンガポールに進軍した時のこと。シンガポールには華僑が多く、言語が通じるので話もした。驚いたことに、華僑達は教育というものを受けておらず、ほとんどの者達が文盲であった。台湾では日本統治下で教育が進んだ。学校教育がいき届き、当時でも85%以上の識字率であった。「同じ植民地とはいえ、日本でよかった。ああ、ありがたい」とつくづく思った。
日本軍は真珠湾を奇襲攻撃したと言われている。しかし、既にその前年にアメリカ軍が領空侵犯をして台湾を空撮している。これがその証拠写真である。(写真を見せてくださった)

人間は食べなくても一週間ぐらいは平気だが、水だけはなくなったらすぐに死ぬ。たまりかねて牛が歩いた後の窪みの水たまりの水を飲んだら赤痢になって死線をさまよい、担架に乗せられ移送された。カンボジアからバンコクの病院へと。そこで数ヶ月療養したが、傷病者が溢れていて、薬がなく墨の汁を飲まされた。そこで終戦の玉音放送を聞いた。
翌年、台湾に帰ったら思いもかけず支那籍(中華民国籍)にされた。日本が台湾を統治し始めた時には、台湾人は財産を売却して台湾から出て行くか、日本国籍となるか選択させられ、ほとんどの者が日本国籍となった。戦争に負けたとはいえ、この時にも日本と支那とを選択させて欲しかった。

戦争には絶対反対だが、あの戦争は負けはしたが無駄ではなかった。(何度も何度も繰り返し)
真の目的は果たせた。今のアジアを見よ。列強の支配から独立し、今の平和があるではないか。日本が戦争をしなければ今頃アジアはどうなっていたか。全て白人達に支配され植民地のままであったであろう。本当の日本は今のような姿ではない。日本の誇りを取り戻して欲しい。
日本は断じて侵略国家などではない。(繰り返し繰り返し)支那、韓国は金欲しさに日本を悪し様に言う。そうではない。
教育勅語は素晴らしい教えだ。(暗誦して聞かせてくださった)今の日本は自虐史観にとらわれ、教育勅語は戦争礼賛だなどという。どこにも、戦争に行けなどとは書いていない、素晴らしい教えが書かれている。戦後の日本人には先の大戦の真義が正しく伝えられず、自虐史観と共産圏コミンテルン浸透によって、愛国心を失い、国の根幹が溶けているようだ。自立観念を失い、独立国とはいえ、戦後の占領国が日本弱体化を意図して作った憲法をそのまま使っている。なぜ自分たちの憲法に改革しないのか、実に納得できない。

思えば、当時、我らが護国のため、必死になって国の行く末を案じ、280万余りの若い尊い命を犠牲にして散華された戦友のことを思うと胸が痛む。この真義を伝えようと、二二八記念館と総統府のボランティアに志願し、努力している。日本存亡の危機に日本兵として闘った、負けたとはいえ日本兵と同じ扱いをして欲しかった。恩給も年金もない。裁判をしたこともあったが、外国人と言うことで叶わなかった。しかしそれは日本が戦争に負けたのだから仕方がない、戦勝国の言う通りにするしかなかったのだと思うこともできた。自分が歳をとったということもあるが、金はもう要らない。
ただ、これだけは望みたい。

何度も変わる日本の総理だが、メディアを通じて「かつて日本のために闘ってくださった台湾の皆さん、ご苦労様でした。ありがとうございました」という言葉、それだけが欲しい。それさえ言ってくれたなら、もうなにも言うことはない。

二二八事件ではひどい拷問を受け銃殺手前ですんでのところで助かった。国民党は台湾人を9人ずつ並べて、手の平、足首に針金を通してつなぎ、海に連れて行き、頭を撃ち抜き海に流していった。国民党は台湾人から財産を奪い、収奪し金持ちになり、日本時代にはなかった汚職がはびこった。政治でも汚職がひどく金をばらまき、民進党がなかなか勝つことが出来ない。
かつて板垣退助が台湾人有志と共に台湾西側を演説にまわった時、各地で大変な盛り上がりであった。台湾デモクラシーの基礎を築いたといえる。これが台湾人が二二八事件で国民党の圧政に反抗する強さにもつながった。自分は高齢だが、昔の祖国日本の存亡が憂慮される。願わくば、一人でも多くの日本国民に大戦の真義を伝えたい。
ぜひ台湾に観光に来ていただいて、私にも会いに来ていただきたい。
************************************************************************
簫錦文さんは二二八記念館では火曜日の10時から午前中日本語ボランティアを務めていらっしゃいます。それ以外の日でも前もって予約があれば極力応じてくださるそうですので、皆さんも機会があれば、是非訪問なさってください。
現在の台湾が親日であるのも、こういう日本語世代の方々のおかげでもあります。時代と共にだんだん少なくなってしまうのが残念です。


簫錦文

関連BLOG

ページビューの合計

Translate(翻譯)

台北の日貨専門店 瑞瑞

記事検索

自己紹介

自分の写真
趣味として、Wineや台湾の紹介ブログを書いたり、台湾では大阪の食文化を紹介しながら「話せる日本語」を教えています。 30代前半で起業、60で引退、現在は大阪、南国台湾を往復しながらフリーランスな生活をしています。

QooQ