【古跡】市定古跡
【場所】MRT内湖駅徒歩10分 内湖区内湖路2段342号
戦後の一時期「中山堂」として使われ、その後は「内湖区民活動中心」として利用されていた。 「中山堂」は近所の京劇学校に移されている。
戦前、この役場で勤めていた人に10年前に話をいろいろお聞きした中で戦争終結直前に三日三晩、書類を焼却した話が強烈に頭に残っています。
戦後も地元民に「会議室」と呼ばれ親しまれています。
内湖文化史研究家・陳金讃 氏に紹介いただいた土地の生き字引・謝樹地さんによると、戦時中は台北市内からの疎開や食物を求める人が日参してきた。その交換レートは台北市内の家一軒とガチョウ一匹だったと言って笑われた。空襲でいつ焼けるかわからない市内の家は値打ちがなかったのだと。
戦後の住宅需要の最盛期には住宅建築用のレンガを作る工場が30か所余り稼働し、MRT港乾駅の内湖高工1帯では赤土を取る為3m程度掘り下げた地中から、流木やイカリの鎖などが発掘されたという。
その内湖にも昭和30年頃になる人口増による宅地化の波が押し寄せ1200haの田圃が失われ今は新興住宅街になってしまったと、昔の風景を懐かしむような顔をされていた。
日本時代の建物「内湖庄役場会議室」これに隣接し「米穀局統制倉庫」「派出所」の3棟が残されている。
1930年竣工の「内湖庄役場会議室」は古跡認定されている。戦後、一時期「中山堂」として使われたようだが現在は「区民活動センター」として利用されている。
前述の 謝樹地 さんによると、私達は今でも「会議室」と呼んでいるとの事だった。「内湖庄役場会議室」の並びには[郵局倉庫]や戦後建築されたであろう 区役所戸籍事務所 の建物などがあり、この一帯が内湖の役所街だったことがうかがえる。
区役所戸籍事務所が利用していた建物と派出所は解体される運命だ。
謝樹地 さんは、大正11年生まれの88歳の矍鑠たる人物で、美しい日本語を話され、今でも日本のTV番組を通じて日本と繋がっている。内湖庄役場に昭和16年から46年2か月26日間勤めた。この間、役場を離れたのは軍事訓練の6か月間だけだと話された。まさに内湖地区の生き字引のような人だ。
戦前、戦中、戦後のお話の中で終戦時、日本政府の指示により、3日3晩かけて、役場内にある全書類を焼却したという話、そしてNHKの「のど自慢」「相撲」番組は、必ず見るとの言葉には、何か考えさせられるものがあった。
終戦時には54人いた役場職員が国民党政府によって18人に減らされてしまった。私は18人の中の一人だった、とも言われていた。




0 件のコメント:
コメントを投稿