「台湾総督府」 (現)総統府 /台湾に残る明治大正

2019年4月12日金曜日

台湾に残る明治大正ロマン

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「台湾総督府」   

台北には多くの歴史建築物が残されています。その中でも筆頭は、南国の風を受け青天白日滿地紅旗を、たなびかせている中華民国総統府、かっての台湾総督府だろう。
写真では伝わりませんが威風堂々とした威容は日本近代建築物の筆頭にあげられるでしょう。 「東門」から延びる「凱達格蘭大道」が突き当たる「重慶南路」に位置し、当時は台北の日本人居住区である城内のほぼ中央に位置し、高さ60mの中央塔(台湾初のエレベーターが設置されている)からは、当時の台北全体を見渡せたそうだ。

【建物】1919年(大正8年)竣工   国定古跡   
【設計】長野宇平治 森山松之助 (辰野金吾式建築の代表作) 
【場所】MRT台大医院駅徒歩5分。中正区重慶南路1段122号。

初期の総督には行政権、司法権、台湾駐屯の陸海軍の指揮権、特別立法権の統治四権を一手に握る総督の権限は絶大なものだった。
こうした事情から、樺山資紀・桂太郎・乃木希典・児玉源太郎・佐久間左馬太・安東貞美・明石元二郎の初代総督から7代目総督はいずれも現役の大将または中将であった。



建物は日本の方向、東向きに建っており、上から見ると、日本の日を型取っています。そして四隅の出っ張り部分 は喫煙室だったそうです。この時代に、既に分煙意識が有ったという事ですね。


現在、月曜日〜金曜日の午前9:00〜12:00まで1F部分のみ開放されています(パスポート必要)。
2011年当時はボランティアの白髪のお爺さんが「戦後の日本人の生き方」「自分達の生きた戦前の 日本」を日本への思いを込め一生懸命に歴史を語ってくれました。 
白髪のお爺さんは、当時84歳の元日本陸軍特別志願兵「蕭錦文」さん84歳 です。私達戦後の日本人が捨去った日本人の心を持った素晴しい日本人(台湾人)です。

陳水扁政権が台湾正名運動の一環として総統府に面した道を「介寿路」から「凱達格蘭大道」に変更しました。
凱達格蘭族(ケタガラン)は、現在の台北県・台北市・基隆市・桃園県一帯に広がる台北盆地に居住した民族で、商いや航海に長け、早くから漢人や南蛮人・日本人との交易で栄えていた。                 鄭氏政権の頃から漢人との同化が進み、日本統治時代初期には既にケタガラン独自の文化というものはほとんど消滅していた。しかし台北北部にはケタガランの言葉に由来する地名が多く残っている。「艋舺」や[北投]などの地名はケタガラン族の言葉に漢字を宛てたものである。

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趣味として、Wineや台湾の紹介ブログを書いたり、台湾では大阪の食文化を紹介しながら「話せる日本語」を教えています。 30代前半で起業、60で引退、現在は大阪、南国台湾を往復しながらフリーランスな生活をしています。

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