ワインに日本の家紋が  Ch.Igai Takaha 'Divine Wish' Zotovich Vineyard Pinot Noir

2021年3月12日金曜日

North America

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Ch. Igai Takaha Divine Wish Pinot Noirの基本情報

概要

『ワイン名』  Ch. Igai Takaha Divine Wish (Pinot Noir Zotovich Vineyard)
『Avg. Price (ex-tax)』 ¥ 6,100/ 750ml
『Producer』 Ch. Igai Takaha (イガイ・タカハ)
『Region / Appellation』 Santa Rita Hills
『Country Hierarchy』 Santa Barbara County, Central Coast, California, USA
『Wine Style』 Red - Light and Perfumed
『Grape / Blend』 100/Pinot Noir
『alcohol』 14.2%
『Food Suggestion』 Chicken and Turkey
『参考購入価格』 2021’購入/ヴィンテージ2015’/¥6600

こぼれ話

ワイン名の由来は、オーナー杉本氏の長女「祐希」(ゆうき)さんの名前「祐」には「物が十分あってゆとりがある、豊か、心が広い」のニュアンスがあります。これからあら「先を見越せる」との意味が有る英語の「Divine」を、希望という力強い言葉が想起される「希」からは「Wish」を選択されたと想像します。
そしてラベルには家紋の「丸に違い鷹の羽」に家族の絆を込められたのでは無いでしょうか。 

テイスティング

2011'ヴィンテージ(¥4840)
『ボリューム』 少し重い
『タンニン』 少し控えめ
『甘み』 少し甘い
『酸味』 少しまろやか
『果実味』 少しフルーティ
『香り』 イチゴ ラズベリー 山査子 なめし皮 木樽

芳香にミントのような清涼感と言うかハーブ感がある。 
口に含むとミントが最初に現れます。 
カリフォルニア-ピノノワールの特徴である果実味の強さはそれほどではなく、穏やかながら酸味もあって、ミドルボディーの造りはブルゴーニュの作品かと見紛うほどだ。

生産地 Santa Rita Hills について


  • カリフォルニアのCentral Coast ワイン産地のSanta Ynez Valleyの西端に位置するAVAです。
  • アペラシオンはSanta Ynez Valley、AVAに囲まれていますが別個の AVA です。
  • シャルドネ、ピノノワールのワインで有名な涼しい気候のブドウ栽培地域の1つです。
  •  Santa Rita Hills のブドウ園は、海岸が西、南、南東に16マイル(25 km)離れているので太平洋の3つの側面からの冷却の影響を受けます。北のPurisima Hills 、南のSanta Rosa Hills によって形成されたAVAの沿岸の谷は、涼しい太平洋のそよ風をブドウ園に注ぎ込み暑い午後の日差しからブドウの木を冷やします。
  • 霧は気候の調整役としても機能し、暑い夏の間は気温を下げます。潮風と霧の複合効果により、葡萄の成長期にフェノールの熟度を発達させるために役立ちます。
  • サンタリタヒルズの土壌は、主に砂壌土、シルトローム、粘土ロームの層でできています。
  • 海洋堆積物も広く分布しワインに顕著なミネラルと塩分を与えます。そして、貧弱ながら水はけのよい土壌は、この地域の年間降雨量が少ないことと相まって、自然な酸味をワインに与えています。
  •  現在、AVAは約14,000ha(36,000a)に拡張されています。
  • Pinot Noirが圧倒的な広さの1012ha(2500a)に植栽されています。
  • Chardonnayが2番目にランクされSyrah, Sauvignon Blanc, Viognier 、その他のブドウ品種がそれに続きます。
  • 2001年7月時点でのAVAはSanta Rita Hillsとして知られていましたが、チリの大手ワイン​​会社Vina Santa Ritaからの抗議を受けて2006年に「Sta. Rita Hills」と略されました。

日本の家紋

概要

家紋は今日まで息づいている日本固有の文化であると言っていい。
古くより出自といった自らの家系、血統、家柄・地位を表すために用いられてきた。
2018年現在、採取されているだけで 2万近くの家紋が確認されている。
家紋は現在も人々の暮らしに息づいている。

家紋のおこり

源氏、平氏、藤原氏、橘氏といった強力な氏族が最も名を馳せていた時代、地方に移り住んだ氏族の一部が他の同氏族の人間と区別を図るため土地の名前などを自分の家名とし、それが後の名字となる。
家紋は家の独自性を示す固有の目印的な紋章として生まれ、名字を表す紋章としての要素が強かった。

家紋の発展

平安時代 - 鎌倉時代

  • 家紋の起源は古く平安時代後期にまで遡る。
  • 公家の間で流行し、様々な家紋が生み出されていく。
  • 武家の家紋は公家よりも遅れ、源平の対立が激化し始めた平安末期に生まれる。爆発的に普及し始めるのは鎌倉時代以後となる。
  • 鎌倉中期頃にはほとんどの武士は家紋を持ち、家紋の文化は武家社会に定着していたと考えられている。

南北朝時代 - 室町時代 - 戦国時代

  • 戦国時代に入ると同族同士で戦うことも増え、敵・味方の区別をしやすくするため、この頃から急激に家紋の種類が増え始めた。
  • 公家社会においては武士のように名を上げるために家紋を使用する必要はなかった。そのため室町時代に入る頃には、ほとんど廃れてしまう。その存在自体が厳格な家格の序列に固定化された公家には、そうした紋章をあえて使用する必然性がなかったのである。

江戸時代

武士同士による激しい戦はほとんどなくなり、合戦における敵味方の区別をする為に実用的だった家紋の役割は変化していき、一種の権威の象徴となっていった。

士農工商という階級社会があった江戸時代では、家紋の用途は家の格式を他人に示したり、相手の身分を確認したりする目的に変化した。

貴族などごく限られた者しか家の紋章が許されないヨーロッパ各国とは対照的に日本では、一般庶民も広く家紋を所有し使用した。百姓、町人、そして役者・芸人・遊女などといった社会的には低階級に位置づけらる者まで家紋を用いた。

一般的な百姓・町人は苗字の公称ができなかったが、家紋を用いることは規制されていなかったため、家・一族の標識として機能していった。

明治時代以降

身分規制がなくなったことにより庶民が紋服を着用したり、墓石などに家紋を入れることが増えた。
また当時盛んだった国粋主義や家意識の表象として用いられた。

第二次世界大戦後 - 現在

現在でもほとんどの家に伝えられており、冠婚葬祭などで着用される礼服には必要不可欠なものになっている。
また伝統芸能や老舗では2018年現在でも定紋を前面に打ち出して活動する者も多い。

家紋の仕様制限について

家紋の使用に制限はなかったと言うが、他家の家紋を無闇勝手に使用してはそれなりの軋轢や摩擦が生じる。
特に大名や将軍などの、地位の高い家のものとなればなおのことである。
そのため、他家の定紋は出来るだけ配慮して使わないこととする暗黙の了解があったとされる。

鷹の羽紋の由来

鷹は、その空を飛ぶ時の美しさと獲物を追う時の勇ましさから、古来より人をひきつけていました。
特に鷹狩りは上流階級では人気があり、人との関わりが強い動物の一種でもありました。
そのため鷹が持つイメージそのままに「強さの象徴」「権威の象徴」として、武家だけにとどまらず上流階級の公家にも鷹紋の人気があったようです。
実際の紋様は多くの場合、鷹それ自体の姿ではなく、鷹の「羽」のみが採用されています。

「鷹の羽紋」は、後醍醐天皇の皇子にあたる菊池武光が使ったことにその起源があるとされています。
その後「関ヶ原の戦い」で石田三成と堅い絆で結ばれたといわれている戦国武将の大谷吉継が「丸に鷹の羽紋」を使用したことで広く鷹紋が認知されたといわれています。






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趣味として、Wineや台湾の紹介ブログを書いたり、台湾では大阪の食文化を紹介しながら「話せる日本語」を教えています。 30代前半で起業、60で引退、現在は大阪、南国台湾を往復しながらフリーランスな生活をしています。

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