さしずめ台湾のハワイ、沖縄宮古島といったところか。
松山空港から1時間ばかりの飛行機旅で台湾本島とは別世界のリゾート地「金門島」に着きます。
「ワイン好きの海外生活ブログ」がおすすめする民宿「金八」の外観は閩南(びんなん)建築様式、内部は現代風に清潔感溢れるスペースに改造されています。
ベストシーズンは春~秋、予約時に士林の「瑞音坊」の紹介と言って貰えれば気持ちばかりの優待が有ります。
社会貢献ができ、自身の治療は無料、しかもボランティア協力費がもらえます。
ご紹介
トイレ シャワールーム
洗面 トイレ
キッチン
中庭
見どころ抜粋
高粱酒工場
三角堡
閩南(びんなん)建築集落
朝市
服務三軍(軍中楽園)
翟山坑道
夕陽
金門名物
素麺
牛肉麺鍋
魚介類
砲弾包丁
まとめ
5年前に初めて会った時と変わらぬ優しく明るい「まるこちゃん」でした。
あれから彼女も一児の母になり月日の移り変わりを感じる再開でした。
現在も戦時下では有るようですが平和なリゾート地に変貌しています。
現在も戦時下では有るようですが平和なリゾート地に変貌しています。
合わせて読んでね(台湾観光の人気記事です)
付録
国共内戦
日中戦争に於いて第二次国共合作で日本と対決した中国国民党と中国共産党は反目し1946年、国共内戦へと発展する。
国民党が当初は勢いがあったが最終的には1949年に中華人民共和国が建国され、蒋介石率いる中華民国は1949年12月に台湾に逃れた。この時点では海軍力に勝る中華民国が中国大陸近辺の島々を全て支配下に置いていた。
1955年までに上海近郊の舟山諸島から広東省の海南島まで占領していた地域は激戦の末、中華人民共和国に制圧される。
その後、中華人民共和国は1958年金門島と馬祖列島の奪取を目指し激しく攻めるも国民党軍が死守する。
当時の激戦を物語る弾痕が壁一面に残る金門島の古民家
1960年代 1970年代
中華人民共和国は大躍進政策や文化大革命で国内が疲弊し台湾を軍事侵攻する能力が無かった。
中華民国も大陸反攻をスローガンにするも、1964年に中国が核兵器の開発に成功すると事実上大陸反攻は不可能になる。
1971年には国連の代表権が中国に移行し中華民国の孤立化がもたらさる。
1980年代 19990年代
鄧小平が一国2制度による統一を提案するも蒋経国は中国との一切の取引を拒否。
1988年、李登輝が中華民国総統に就任し民主化政策を進め、1996年に初の総統選挙が行われる。
2000年代
台湾独立を主張する民主進歩党の陳水扁が総統に就任。
新憲法の制定を目指すなど脱中国化路線を主張する。これに厳しく反応する中国は2005年、反国家分裂法を制定し台湾への強制統一に法的根拠を与えた。
現状
中国軍の急速なハイテク化により台湾海峡の制海権及び制空権は中国にシフトしつつある。近年のアメリカ政府等の有識者の見解21世紀にはいり中国は台湾への大規模な空爆や大量破壊兵器の投入等の全面戦争を避けるであろう。
が、「斬首作戦」と称して台湾を奇襲し、人民解放軍特殊部隊や武装警察の武力によって台湾総統ら首脳陣を瞬時に「排除」し、アメリカの介入が行われる前に台湾問題に決着をつける恐れがあると指摘されている。
日本政府はこの台湾問題に対して中立の立場を示しているが、敗戦により台湾に法的地位を与えず無責任に手放し今の台湾国民に苦難の道を与えた国としての立場としては如何なものかとの疑問を私は持っております。
0 件のコメント:
コメントを投稿