Clerc Milonは親の後を継げる孝行息子、d'Armailhacはドラ息子って感じ。まさにテロワールの不思議で、同じ醸造家の手で造られても違ったワインになる。
Ch.Clerc Milon
【所有者】1970’ロンドン Rothschild 家庶流 Philippe 男爵が購入
【運営主体】Baron Philippe de Rothschild社
【醸造家】「Ch.Mouton Rothschild」と「Ch.Clerc Milon」の醸造チーム
【管理者】2004'よりPhilippe Dhalluin(テクニカルディレクター)
【地 域】Bordeaux
【地 区】Medoc
【村 名】Pauillac
【Cepages】50/CS 37/ME 10/CF 3/PV
Milon というポイヤックの小集落の名前と Clerc 家の名前から Ch.Clerc Milon という名前になる。その後、この畑の持つポテンシャルが気に入った Philippe 男爵が1970’に購入。
2007年には Philippe 男爵の令嬢 Philippine の元で新たな発酵施設の建設、革新的な設備が新設され大規模改革が行われた。
【村 名】Pauillac
【Cepages】50/CS 37/ME 10/CF 3/PV
Ch.Clerc Milonの歴史
ラフィットの所領であった広大なドメーヌの一部であった畑は1789年の革命時に売りに出され、その時に Clerc 家が買い取る。Milon というポイヤックの小集落の名前と Clerc 家の名前から Ch.Clerc Milon という名前になる。その後、この畑の持つポテンシャルが気に入った Philippe 男爵が1970’に購入。
2007年には Philippe 男爵の令嬢 Philippine の元で新たな発酵施設の建設、革新的な設備が新設され大規模改革が行われた。
国際財閥Rothschild家とワイン
1853年、Rothschild ファミリーのイギリスに渡った Nathan de Rothschild 男爵の三男Nathaniel がフランスのポイヤック村でシャトーを購入し名前を「Ch.Mouton Rothschild」と改めます。
Nathaniel はパリ Rothschild 家祖 James の長女 Charlotte と結婚し叔父の銀行業を手伝う為パリに移住する(家祖 Mayer Amschel の五つの遺言の一つに婚姻は Rothschild 一族内で行うこと)。これより Rothschild 一族のワイン事業が始まる。
その後、曽孫の Philippe 男爵が経営を引き継ぎ「baron Philippe de Rothschild」社は大きく飛躍します。「Ch.Mouton Rothschild」「Ch.d'Armailhac」「Ch.Clerc Milon」「Baron'arques」等、「Opus One」「Almaviva」などのジョイントベンチャー、ネゴシアン部門を含め取扱商品は60銘柄に及ぶ。
ラベルの物語
ラベルは結婚式を挙げたばかりの二人が楽しそうにダンスをする姿が描かれていますが、そのラベルの裏に悲しい愛の物語が秘められています。この Rothschild 家を若干20歳で Philippe 男爵は継ぎ、最愛の妻 Lily と娘 Philippine に囲まれ幸せに過ごしていました。
第二次世界大戦によってユダヤ系の大富豪であった Rothschild 家はナチスドイツからの迫害を受け、幸せだった一家は離散してしまします。
Philippe 男爵はフランス軍にはいり難を逃れましたが、妻 Lily はゲシュタボに捕らえられ、娘 Philippine は行方不明、ワイナリーは没収されます。
戦後父と娘は劇的な再会を果たしますが、妻 Lily は収容所で悲惨な死をとげていました。深い悲しみの日々を送っていた Philippe 男爵を二度目の妻 Paulie が救います。
娘の Philippine はこの Ch.Clerc Milon で大切にワインを造り続けていました。
このラベルに描かれている二人は結婚直後の Philippe 男爵と最初の妻 Lily であると言われています。楽しそうに二人が踊っているラベルの裏に、この様な悲しい物語が有ります。