日本統治時代の大正町を歩く /台湾に残る明治大正

2012年6月11日月曜日

台湾の空の下

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日本統治時代の大正町を歩く   

華山公園に樹で覆われた地下設備がある。
銃口口の様なものが沢山確認できるのでトーチカ跡なのかな?
20数年前の戦時体制からすれば緊張がやわらいだのか台湾では放置された軍事施設を時々見かけることがある。

遠くに台北101が見えます。


大正町は、日本統治時代の台北市の行政区画で一丁目から三丁目まであり三橋町の南、華山駅の北側に位置していた。この町名は、この区域が大正時代に計画されたことから名づけられています。
現在の中山北路以東、新生北路以西、南京東路以南、市民大道以北の地域です。町内には行政官吏の宿舎などが整備され、当時の高級住宅街だった。
町内には大正町教会があり「一條通」から「九條通」までの道路が通っていた。

古跡認定されている大正町教会

戦後、高級住宅街であった大正町の一帯は、日本料理店やバーが林立する繁華街へと変遷した。
林森北路の6条通りは気楽にお酒を飲みながら女性との会話の中で、北京語を学べるので、日本人駐在員には林森大学語学部出身者が結構います。
5条通り~10条通りにかけては少なくなったとはいえ今でも日本人御用達の飲食店が軒を並べています。

古写真(現在の天津街)



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趣味として、Wineや台湾の紹介ブログを書いたり、台湾では大阪の食文化を紹介しながら「話せる日本語」を教えています。 30代前半で起業、60で引退、現在は大阪、南国台湾を往復しながらフリーランスな生活をしています。

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