映画「賽徳古・巴莱」太陽旗no.2 モーナ・ルダオについて /歴史の窓

2011年10月28日金曜日

台湾の空の下

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「賽徳古・巴莱」太陽旗no.2   

1930年当時の霧社

ベネチア国際映画祭では残酷な場面が多すぎるとの評論も有ったようです。しかし、必然性のある場面が多かったというのが私の感想です。

父ルーダオ・バイの死後、マヘボ社の頭目を世襲する。名前モーナ・ルーダオは「父ルーダオの子であるモーナ」という意味である。

モーナ・ルーダオはマヘボ社など霧社セデック族の6社を率い日本人公学校を襲撃した後、山に籠り日本軍と交戦する。日本人公学校での殺戮は日本人に限りおこなわれており、事件の起きた公学校周辺は彼らの狩猟場だったらしい。当時、霧社にはセデック族村落が11社あり、およそ2200名が住んでいたという事なので半数以上が武装蜂起をしたという事だ。

霧社セディク族は、1910年日本に帰順するまでの間、多くの犠牲者を出し最後まで抵抗を続けた原住民である。モーナ・ルダオは帰順後に他の原住民の頭目達とともに日本観光に招かれたりしているのだが、対日蜂起をあきらめておらず戦闘準備をする様子が映画で描かれている。

彼ら原住民は村落単位で生活をしており猟場を巡る争いが村同士であり、少なからぬ因縁があったようだ。そしてこの争いが日本軍に利用され民族同士の戦闘になっている。モーナ・ルダオの頭目としての実力は霧社セデック族の中で高く評価されているようですが、この映画を見た原住民の老婆が、こんな英雄ではないと言ったというエピソードもあります。多分、反目した、村の出身者なんだろう。

PS.
「頭目」という日本語は、現在も使われており、発音は「トームー」と変化しております。
戦後、雲南省の人達の入植地で雲南料理が有名なところです。



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趣味として、Wineや台湾の紹介ブログを書いたり、台湾では大阪の食文化を紹介しながら「話せる日本語」を教えています。 30代前半で起業、60で引退、現在は大阪、南国台湾を往復しながらフリーランスな生活をしています。

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