台北MRT淡水線圓山駅前の宿舎今昔物語

2025年12月15日月曜日

台湾に残る明治大正ロマン

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 台鉄北淡線圓山駅宿舎新旧写真

改築前宿舎跡

改築後宿舎跡


1988年(昭和63年)の台鉄淡水線動画


1988年の台湾鉄道淡水線廃止前の姿を完全に捉えた映像です。現在は台北捷運淡水線となっています。
沿線の風景もすべて撮影されています。撮影日は民国77年7月7日(1988年7月7日)で、切符が残っていることから確認できます。その中には、建設中の台北駅や中山サッカー場も映っています。
列車はまず石牌駅から出発し、台北駅へ向かい、次に台北駅から淡水駅へ、最後に淡水駅から石牌駅へと戻ります。
3:37   士林基河路
6:10   台北車站還在蓋
7:20   台鐵柴液機車DH210
8:50   大同工學院
9:15   中山足球場興建中及圓山車站
10:55 中山北路及圓山大飯店
11:41 銘傳商專
12:18 士林車站(年輕時在這邊搬水泥)
14:50 明德國中
18:00 有唭哩岸打石場
18:15 隱藏版車站王家廟,便利大同電子公司員工通勤而設立。
     除上下班時間外,列車均直接通過本站。
18:20 公館路的大同電子公司
20:20 北投車站,有一台單一車箱的柴油車是開往新北投車站
23:30 忠義車站
25:19 嘉新麵粉廠
26:00 光武工專
26:05 關渡車站
26:40 關渡隧道
27:42 關渡大橋1983年完工
28:28 新北市八里沿岸
29:15 竹圍車站
34:00 淡水車站
36:20 火車車門關不起來,用一條鐵鍊就算了,以現在的安全標準,古早人真不值錢.
36:47 觀音山山景
39:00 十信工商
40:00 回石牌站

台鉄淡水線(北淡線)の歴史

淡水線は台湾にかつて存在した鉄道路線。 路線は台北駅より北進し淡水河右岸の淡水駅までの線区。北投駅から新北投支線が延伸していた。 1988年に台北捷運淡水線の工事に伴い廃止された。 日本による台湾統治が開始された1895年、当時の基隆港は設備が未熟であり、港湾設備としては淡水港が主要な地位を占めていた。淡水港から台北までは当初は水運に依拠していたが、台湾総督府は物流の迅速化のために清代に建設された鉄道を整備することを決定し、旧線の資材を利用して淡水線の建設に着手した。 1901年8月25日、淡水線が開通し、「台北停車場」を含み、計8駅での開業となった。その後、1903年には大稲埕駅が完成し淡水線の起点となった。 1915年には新駅が5駅新設され、大稲埕駅が廃止となり、起点は北門駅と変更された。1923年、北門駅が廃止され、台北駅が淡水線の起点駅と変更された。 その後淡水河の土砂堆積が進行し大型船舶の運航が困難となり、また基隆港が整備されたことから淡水港の重要性は急速に失われた。 貨物輸送の不振に陥った淡水線であるが、北投温泉への湯治客輸送の需要が高まり、1916年に新北投線が開業され旅客輸送を中心に経営が継続された。 戦後、日本式駅名である「大正街」と「宮ノ下」の駅名変更と後にその2駅を廃止し「王家廟」と「忠義」の2駅を新設し11駅体勢で営業が続けられた。 しかし自動車輸送の発展により旅客輸送の輸送性は低下し、1970年代初頭に「台北都会区大衆捷運系統計画」が提出され、淡水線の捷運化が提唱された。数度の修正を経た後、1986年に行政院は計画を認可し、淡水線は廃止される方針が決定された。 1988年7月15日、淡水線は営業最終日を迎え、23:20に台北発淡水行の最終列車が台北駅6番ホームを出発して通常営業を終了、翌日の廃線イベントで特別列車が運行されたのを最後に87年の淡水線の歴史に幕を下ろした。 その後は軌道及び駅舎は撤去され、捷運の建設が進行、1997年に台北捷運淡水線が開業し、往時の淡水線を継承する形態での営業が行なわれている。

現在の「圓山駅」前の旧宿舎跡


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自己紹介

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趣味として、Wineや台湾の紹介ブログを書いたり、台湾では大阪の食文化を紹介しながら「話せる日本語」を教えています。 30代前半で起業、60で引退、現在は大阪、南国台湾を往復しながらフリーランスな生活をしています。
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