エチケット日記
2001’4/16
コスパ最高の良いワインだ ★★
20010416
おまけ
『Andre Lurton』
1924年、ここグレジャック村のシャトー・ボネで生まれました。第二次世界大戦では15歳という若さで志願兵として従軍し、1945年の終戦まで戦火に身を投じました。戦争が終わるとグレジーヤックに戻り、シャトー・ボネで父フランソワ・リュルトンの手伝いを始めます。
1953年に一番下の弟ドミニクが18歳になったのをきっかけに、フランソワの所有地は4人の子どもたちに分割相続され、長男のアンドレは最も慣れ親しんだシャトー・ボネを継ぐことになります。しかし当時のボネは、わずか30ヘクタールばかりしかなく、畑はかなり荒れ果てていました。しかし祖父譲りの類い稀なるワインに対する才覚を持ったアンドレはこれの立て直しに成功、さらに落ちぶれたシャトーを次々に購入しては再建し成功を収めていきます。その中にはラ・ルーヴィエール(1965年)、クーアン・リュルトン(1970年)、ド・クリュゾー(1973年)、ロッシュ・モラン(1974年)など、今や世界的にも人気の高いワイナリーが名を連ねています。
アンドレ・リュルトン氏の功績はワイナリーオーナーとしてのそれにとどまらず、アントル・ドゥ・メールのワイナリー組合長や、ジロンド県農林水産部組合の副会長、ブランヌ農業連合会の創設者、グレジーヤックワイン醸造研究情報センターの創設者、ボルドー&ボルドー・スペリュールワイナリー組合副組合長、CIVBディレクターなど数多くの経歴を持っています。
特に有名なものには、1987年にグラーヴの独立アペラシオン「ペサック・レオニャン」の設立に尽力したことが挙げられます。素晴らしいワインを造るだけではなく、ボルドーワイン全体の地位向上に大きな働きをした偉大な人物なのです。
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