華僑の故郷 広東省開平市 /メモリー

2006年5月17日水曜日

大阪の空の下

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1840年~1911年にかけて数百万人の中国人が米国など海外に渡り鉱山で金採掘や鉄道建設、農業に従事し、都会では貿易や飲食業などの仕事に就いた。
アメリカ横断鉄道は広東省の江門から米国に渡った労働者の力により建設された。当時、彼らは“売猪仔”(子豚を売る)と呼ばれ、それは海外で苦役に就く中国人の血と涙と汗を象徴する言葉だった。
広東省の珠江の西、江門市に県級市の“華僑の故郷”開平がある。広州から110㎞、マカオからだと車で3時間くらいである。開平はである。開平出身の華僑(香港、マカオを含む)同胞は百万人近くいると言われる。
その開平に「開平望楼」と呼ばれる、故郷に帰った華僑が建てた建物群が残る。「開平望楼」は1915年から1925年頃、中国と西洋のデザイン様式を取り入れて規模とデザインを競って建てられ、多くが4、5階の鉄筋コンクリート造りである。望楼が建築された最盛期には3千棟があったが、今は1833棟が残る。その中でも蜆岡鎮錦江里村にある瑞石楼は1923年に建築され9階建てで現存する望楼の最高傑作と言われている。現存する華麗で重厚な建物群は世界文化遺産に登録されている。

2006’ 新聞スクラップ





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趣味として、Wineや台湾の紹介ブログを書いたり、台湾では大阪の食文化を紹介しながら「話せる日本語」を教えています。 30代前半で起業、60で引退、現在は大阪、南国台湾を往復しながらフリーランスな生活をしています。

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