3分割されたLeovilleのラベルコレクション  #よもやま

2018年11月10日土曜日

Wine雑学

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3分割されたLeoville


シャトーの発展の基礎を築いたのは、ボルドーの財政部長だったジャン・ドゥ・モワティエだった。後に彼の娘ジャンヌ・ドゥ・モワティエへと相続され、1722年、彼女の結婚によって、レオヴィル領主でボルドー議会モルティエの委員長であったブレーズ・ドゥ・ガスクが管理を行うようになり、彼はレオヴィルのワインを世に知らせることに苦心し続けた。1766年、ジャンヌ・ドゥ・モワティエは亡くなり、子供がいなかったため、遺産は甥や姪に渡った。
フランス革命時、その遺産を相続していた少将ピエール・ジャン・ドゥ・ラスカーズは、レオヴィルの畑の1/4を、売却することを余儀なくされた。その後、長子相続法の廃止によって、残る3/4の土地は彼と妹のジャンヌとに分けられた。
この2つの分割が、他のレオヴィルである「レオヴィル・バルトン」と「レオヴィル・ポワフェレ」が誕生するきっかけとなった。

Leoville Poyferre』 https://wine.old-vintage.com/user_data/1204_info
【格付け】メドック2級
【アペラシヨン】Saint-Julien
【総責任者】Didier Cuvelier
【地 所】 Leoville Las Cases、Leoville Bartonと隣接する63haの畑
【年間平均生産量】 約24万本
【作付け割合】CS/58%  ME/31%  CF/2%  PV/9% 
【平均樹齢】 約28年
【植樹密度】 約8,500本
【タンクの種類】 ステンレスタンク
【樽熟成の期間】 約18ヶ月
【新樽比率】 約70%の新樽
【E T C】Michel Rollandのコンサルタントでめきめき往年の輝きを取り戻している。
レオヴィル・ポワフェレの歴史は1638年まで遡る。その当時、この一帯は開拓者ジャン・ド・モワティエの名前に由来した“モン・モワティエ”と呼ばれており、まだ排水作業すら行われていなかった時代のことである。
1740年、婚姻によって貴族であったレオヴィル家のアレクサンドル・ド・ガスクに所有者は代わった。彼の死後からフランス革命まで、様々な所有者の手に渡ってきたのだが、当時はこの畑を分割して販売することが出来なかったため、メドックの中でも最大の葡萄畑であり続けた。
規模の大きさだけではなく、“特に優れた葡萄を生み出す畑”としても認められており、有名な1855年の格付け以前の、1745年以降のヴィンテージを対象としたギュイエンヌ地方(ボルドーを含むフランス南西部)の最初の格付けから、すでにレオヴィル・ポワフェレ(レオヴィル・ラスカーズとレオヴィル・バルトンを含む)は第1級に格付けされていた。

その後、この広大な畑は4人の相続人の手に渡ったことから、次第に分割されることとなる。その一人であったマルキ・ド・ラスカーズが他国へ移民する際に、彼が所有していた畑の一部を国家へと売却、1826年にこれをユーグ・バルトンが買い取り、「レオヴィル・バルトン」というシャトーが生まれる。
さらに、マルキ・ド・ラスカーズの2人の子供は、彼らの叔母が所有していたレオヴィル家の畑の4分の3を引き継いだが、1840年には2つに分割された。ナポレオンの伝記者として、またナポレオン政権下の元帥として有名であった、長男のピエール・ジャンがそのうちの一つを継ぎ、これが今日の「レオヴィル・ラスカーズ」となった。
残りの半分は、ピエールの妹であるジャンヌの娘が所有することになり、彼女がジャン・マリー・ド・ポワフェレ男爵と結婚したことにより「シャトーレオヴィル・ポワフェレ」が誕生した。
3つに分割されて迎えた1855年の格付けでは、いずれのシャトーも2級の格付けと評価されている。
レオヴィル・ポワフェレはその後、エルランジェ男爵と当時の「カントナック・ブラウン」の所有者であったアルマンド・ラランドに売却され、ラランド・ロートン家からキュブリエ家などへ所有者を代えていく。1979年からはキュブリエ家の一人であるデディエ・キュブリエがオーナーとなっている。

『Leoville Las Cases 』 https://wine.old-vintage.com/user_data/1205_info
【格付け】メドック2級
     隣村PauillacのLatour、南側はLangoa Bartonと隣接する85haの地所
【アペラシヨン】Saint-Julien
【総責任者】Jean Hubert Delon
【畑面積】 97ha
【年間平均生産量】 約12万本
【作付け割合】 CS/65% ME/19%  CF/13%  PV/3%    
【平均樹齢】 約30年
【植樹密度】 約8,000本/1ha
【タンクの種類】 木製タンク、コンクリートタンク、ステンレスタンク
【樽熟成の期間】 約18ヵ月
【新樽比率】 約60%の新樽
【E T C】
1900年、現所有者のジャン・ウベール・ドゥロンと妹ジュヌヴィエーヴ・ダルトンの曽祖父であるテオフィル・スカウィンスキが会社の資本を購入し経営管理を行う。
その後、代変わりをしながら、現在はジャン・ウベール・ドゥロンが管理を行っている。
Clos du Marquis」という銘柄は、19世紀末にテオフィル・スカウィンスキによって作られた。仲買人の伝票によると20世紀初頭から定期的にこのワインが取引されていたことが分かる。このワインはラス・カーズ侯爵の住居、シャトー・レオヴィルに隣接した小さい囲いをした丘のブドウによるものだった。これはそれまでは存在しなかった“セカンドワイン”という概念の先取りであり、1980年頃からより発展し、広まっていった。
Clos du Marquisは独立したシャトー並みの素晴らしいワインで、私は勝手にSuper Second Label と言ってます。

『Leoville Barton』 https://wine.old-vintage.com/user_data/1210_info
【格付け】メドック2級
【アペラシヨン】Saint-Julien
【総責任者】Anthony Barton
【地 所】  Leoville Las Cases、Leoville Poyferreと隣接する36haの畑。
【年間平均生産量】 約26万本
【作付け割合】CS/72%  ME/20%  CF/8%   
【平均樹齢】 約35年
【植樹密度】 約9,000本
【タンクの種類 】木製タンク
【樽熟成の期間】 約18ヶ月
【新樽比率】 約60%の新樽
【E T C】1722年、トーマス・バルトンは故郷アイルランドを離れ、事業を始めるために、当時大西洋の玄関口として大きな商業港であったボルドーへ移住する。そこで彼は、現在でも存在する卸売商のバルトン・アンド・ゲスティエ社を創設した。
バルトン家は、彼の孫ヒューの時代にさらに栄え、財産も増えていった。1821年、彼はシャトー・ランゴアを購入。1826年には、レオヴィルの敷地が分割された際に、その一部を購入する。
その後、3世代が相次いでシャトーを相続したが、1902年にロンドンで生まれたロナルドの代には、フランスでの事業は大きく発展した。また、彼は2つの戦争の間もブドウ畑を無傷で守ることに成功し、シャトーの発展の礎を築いた人物となった。
1951年、アントニーがフランスに移住、1954年にバルトン・アンド・ゲスティエ社の所有権の50%をシーグラムグループが握ることになったが、1967年までアントニーは輸出部長として従事した。彼は1967年に、レ・ヴァン・ファン・アントニー・バルトン社を創立し、1983年にロナルドが亡くなった後、シャトーを引き継いだ。彼は娘のリリアンと一緒にバルトンの伝統を守り続けている。


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趣味として、Wineや台湾の紹介ブログを書いたり、台湾では大阪の食文化を紹介しながら「話せる日本語」を教えています。 30代前半で起業、60で引退、現在は大阪、南国台湾を往復しながらフリーランスな生活をしています。

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